『落合陽一 34歳、「老い」と向き合う』
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コンピューターの登場により、「自然」に新たなレイヤーが一つ挟まるようになったといえるのではないでしょうか。コンピューターを使うことで、いったん高解像度で量子化したものを、人間が自由に取り出せるようになった。これは現象論的に、かなり面白いことだと思っています。
猛烈にデータ寄りになってきているといいますか、基本的には患者さんではなくデータを扱うようになっていますよね。僕が現役で医学部で働いていた25年前から、その傾向は非常にはっきりしていました。患者さんの顔を見ずに、検査の結果だけを見る。患者さんはデータの集積としてとらえられているんです。
養老 その典型例が、今日のテーマにも大きくかかわってくる「死」の話なんです。僕はよく「死」を三種類に分けて論じています。自分自身の死のことを指す「一人称の死」、自分と親しい人の死のことを表す「二人称の死」、そして赤の他人の死を意味する「三人称の死」の三つです。
これまで子どもは、買い与えた図鑑や絵本、教科書、もしくはテレビなど、ある程度は親が指定した情報環境の中で育ってきたと思います。ただ、いまの子どもは親が観測不可能な、もう少し広い世界から情報を拾い集めて育っている。YouTube上に転がっている情報はまだまだ人為的なものですが、もう数十年経つと、情報が渦になって流れている〝自然〟のようなものに晒されなが子どもが育つようになり、これまでの親と子の関係の中に、データというレイヤーが一枚挟まって自然のあり方が変わる気がするんです。
トランポリンの上で相撲をやっているような感覚
落合 「人生とは?」という問いについて考えるうえで、友人である、柔道で銅メダリストになった羽賀龍之介さんの発言が思い起こされます。彼がいっていたのは、練習にはいろいろなタイプがあり、量だけでは弱いし、質だけではもろいということ。じゃあ何が重要なのかと聞くと、「やっぱり豊かさだ」といっていたんです。「ああ、『豊か』ってすごい深い言葉だね」という話になりました。以前、僕は子どもが生まれたとき、母子手帳に「豊かな人生を」とメッセージを書いたのですが、「豊かさ」はキーワードでしょう。 「豊かさ」にはいろいろあって、物質的な豊かさだけでなく、教養や学問、文化や芸術といった観点もある。友に恵まれるのも大切なことです。多様性を社会のバックグラウンドにするには、おそらく「豊かさ」が必要だと考えたときに、豊かな「老い」とは何なのでしょうか? 養老先生の本を読むと、ご専門の医療から昆虫、エネルギーまで、いろいろなトピックについて書かれているのですが、そうした豊かさを生み出すためには、どうすればいいのでしょう? 養老 やっていることや周囲に対して切実な関心がないと、時間が無駄に過ぎていってしまいますよね。
「対人」と「対物」を分けて考える
僕はジムでトレーニングしてダイエットするのが好きじゃないんです。ハムスターが回し車を回しているような感じがしてしまうんですよね。身体運動は、自分のなすべき行為の中で行われるべきだと思っていまして。たとえば、日常の中でものを探し回ったり、電車ではなく自転車で移動したりすれば、それが運動になる。こうした手触り感を日常のコンビニエントな中でも探していくことで、世界から切り離されずにいられるのではないでしょうか。 第二章
テクノロジーの発展により、身体機能低下を克服しつつある